八ッ橋やさんは数あれど、
300年以上の歴史を持つのは
本家西尾八ッ橋。
それは八ッ橋の歴史そのものです。
江戸時代・元禄年間(一六八七年〜)
本家西尾八ッ橋の歴史は、
聖護院の森の「八ッ橋屋梅林茶店」にさかのぼります。
当時、商っていたのは
米粉を使って作られた、素朴な「白餅」。
東海道を行く旅人の携帯食としても重宝されていました。
江戸時代・元禄二年(一六八九年〜)
現在の八ッ橋の原型となる、
橋の形をした素朴なおせんべいが誕生しました。
文政七年に熊野神社に奉納された絵馬に
「八ッ橋屋為治郎」の名前が残っていることからも、
「八ッ橋やと言えば、西尾」だったのです。
明治二二年(一八八九年〜)
西尾家の十二代目・西尾為治は、明治時代から
昭和初期にかけて八ッ橋を世界の博覧会に出品し、
数え切れない栄冠を勝ち取りました。
明治二二年(一八八九)のパリ万博では銀賞を受賞。
八ッ橋は海を越えて評判を得ました。
明治三八年(一九〇五年〜)
京銘菓八ッ橋の名は、日本中に知られることになりました。
また、携帯食として割れにくくする工夫として、
八ッ橋は丸みを帯びた形になりました。
この優美な姿で、京銘菓の代表となったのです。